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トランス史記

1、幼い頃から女性の体になりたいと思ってました。
小学生頃から母の化粧品や服を家族の留守中に身につけていま
した。

一度、友人が家に来て遊んでいた時に友人の前で化粧した事も
あります。この時、友人に「女の子みたいになりたいと思った
事ない?」ときいたら「無い」と答えられて、こういう気持ち
を持っているのは自分だけなのかもと孤立感を感じた事を覚え
てます。また、夜布団の中で「神様お願いです。私の身体を女
性の身体に変えて下さい。」と真剣にお祈りした事もあります。

 高校を卒業し、就職してからは女装がエスカレートしてきま
した。週間誌の広告で見付けた女装用品店へ行きカツラや化粧
品などを買いました。そして女装してドライブしたり。伝言ダ
イヤルなどで男性と会ってエッチな事をしたりしてました。

この頃、家族との同居が精神的につらくなり一人暮らしを始め
ました。それからは、通販で洋服を買いはじめました。女装し
て男性と会うという事は続いていました。

2、昔から、テレビでニューハーフが出る番組は欠かさず見て
ました。女性ホルモンで女性的な身体になった彼女らにとても
憧れていました。ある日、伝言ダイヤルにニューハーフのお店
の求人メッセージが入っていたので勇気を出して面接にいきま
した。しかしいざ店にいってみると「ここでやっていける気が
しない」という気持ちが強くなり、怖じけづきました。面接で
は「まず遊びにきてみて、だんだん慣れてきたら働けば?」と
言われましたが、結局、以後行くことはありませんでした。
22歳ころの話しです。

3、私の育った環境は父が酒乱でほとんど不在。そして私が小
学生の低学年の頃に離婚。それ以後一人きりで家族を支える母
を常に心配する母の「夫役」をやってきました。
自分の悩みなどは、「母の悩みを増やすべきではない」と自分
に言い聞かせて母にも相談出来ず自分の中に抑圧してきました。
こういう子供の頃から抱えてきたストレスや家族とのコミュニ
ケーション不足が社会への不適応という形で、ずっと前から出
ていました。

それが抱え切れなくなって「神経症」になり、仕事を続けてい
くことが出来なくなりました。そして7年勤めた会社を辞めま
した。この時26歳でした。

4か月程休んで、インターネット関連の会社に就職しました。
インターネットを使用出来るようになって、色々なトランス用
語や自助グループや個人サイトなどを知り、視野を広げる事が
出来ました。また自分の女装写真をデジカメで撮影し投稿した
りもしました。私の写真を見た方からメールが来るのは嬉しか
ったです。しかし、この職場にも適応が出来ず、約1年で退職
せざるを得なくなりました。以後、働かずに生活保護を受けて
通院と神経症の自助グループに通う暮らしをしています。

4、生活保護では車の保有が認められず女装ドライブも出来な
くなりました。服も殆ど買えなくなりました。仕方のない事で
すが..。しかし、自助グループに通うようになり孤独からあ
る程度救われたせいなのか、あまり女装にフェティシズムなニ
ュアンスを感じなくなり、あまり女装をしなくなりました。
かといって性別の違和感が無くなったわけではありません。
人と接しているときに「男性として周りから認識されてる自分
は嘘の自分」という感覚があったり、「今、自分が女性の姿だ
ったら、今より楽だろうか?」と考えていたり、話すときに「
俺は..」「僕は..」と言う事に違和感を感じて、それが周
りの人との壁になったりしました。
病院のケースワーカにも話せず、一人で抱えていました。
  この事が原因の一つとなり、段々自助グループにも行きずら
くなり、ほとんど人と接しない厭世的な生活をし始めました。
なんとか突破口を見付けようと、相談できる所を探しました。
そして私の神経症の問題と性別の問題の両方を扱っている都内
のクリニックを見付け、受診したところ、上京して通院するこ
とを勧められたので、貯金をはじめました。しかし上京する前
に体調を崩してしまい、今まで通院していた病院に入院する事
になってしまいました。

5、入院をきっかけに新しいケースワーカをつけてもらいまし
た。この人には女装の事も話す事が出来ました。家族の力関係
から私の女性化願望について分析してもらったり、ホルモン注
射の副作用の説明も受けました。この人が言うには私の女性化
願望は「親への反抗の表現」「親への怒りの存在を忘れる為の
酔い」ではないかと指摘されました。確かに私は親に従順な良
い子をやってきてしまったので、そうなのかもしれません。そ
れと、厭世的な生活をしていた私が、入院という共同生活をす
ることによって酔いからさめたような気分になり、今までの女
性化に執着していた自分は異常だったのかもしれないという気
持ちになったのを覚えています。そしてこの時、自分の意志で
上京をやめました。

6、数か月後、退院しまた元の厭世的な生活に戻りました。あ
いかわらず、インターネットできれいな女装者の画像を見ては、
羨望のため息をつくような状態でした。
ある日、伝言ダイヤルでニューハーフとして働く方と知り合い
、その人の店でアルバイトすることになりました。
店で男性客に「こういう髪形にしてみたら?」とか「こういう
ファッションが似合うんじゃない?」と言われたりして、異性
とまではいかないけど、それに近い存在として扱われた事は、
とても心地良かったです。
しかし閉店まぎわになると「男に戻りたい」という気持ちにな
ったので自分はやはり男なんだなと認識しました。また、自分
は「女性になりたい」ではなく「女性になった自分を鏡でみて
自己満足に浸りたいだけ」なんだなと気付きました。しかし店
の人に「女装に対する罪悪感が大きいうちは、この業界では初
心者」と言われたのが気になってます。結局、仕事を続ける自
信がなく、バイトはすぐやめてしまいましたが、あのまま続け
ていたら「男に戻りたい」という気持ちがすこしづつなくなっ
て、ありのままの自分を解放出来る生き方ができたのでは?と、
ちょっぴり後悔してます。

現在は、あまり男、女とかこだわらなくていいのではという気
持ちになってきていますが、インターネットで女性化したTG
の方の写真を見たあとは、とても羨ましい気持ちになり「今の
ままでは駄目だ」という焦った気持ちになります。しかしこの
気持ちも厭世的な生活の苦しさをごまかすための「酔い」から
くるものかもしれないと思うと、女性化に踏み出すのに躊躇し
てしまい、いつのまにか焦った気持ちも心の奥底に閉じ込めて
しまいます。

 髪形やファッションなどはすこしづつユニセックスにしてま
す。「中性的な男性になればそれでいいや」と思うこともあり
ますが、「もし今、私が女性の姿だったら、どんなにいいだろ
う」と考えてる事も多いです。昨日、他の方の体験談に「身体
が女性化していくのはとても幸せな事」という言葉を見付けて、
私もその幸せを味わいたくなりました。しかし、永久不妊にな
るのは、怖いです。

行動しなきゃ、前進しないことはわかってますが、先取り不安
に翻弄されて混乱し、身動き出来ずにいます。難しく考えすぎ
てるのかもしれませんが。とりあえず、この文を公開すること
で、ネット上のトランスの輪に、所属できるのがとても嬉しい
です。

美由紀



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